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2024年 第33回YOSAKOIソーラン祭り 6月5日(水)~9日(日)開催!

2022年02月18日

【30周年スペシャルストーリーズ VOL.03】鉢直人

YOSAKOIソーラン祭り30周年記念企画
【30周年スペシャルストーリーズ】

スペシャルストーリズ第3段
有限会社ステップス 代表取締役社長 鉢 直人 さん

一般社団法人ノルディーア北海道 代表理事や、
特定非営利活動法人北海道の地域文化を守る会 代表理事を務められ、地域のために日夜走り回っている。祭りの初期に現場運営の立て直し、現祭りの会場運営のノウハウの構築に尽力いただいた方。

御神輿の会にも所属するなど、根っからのお祭り男児。
祭り初期、この祭りの成長と、この先について、ユーモアを交えお話しいただきました。
どうぞご覧ください。

Episode.1 YOSAKOIソーラン祭りに関わることになったきっかけ

鉢 : 回数はちょっとわかんないんですけど、パレード会場が四番街会場だったんですよね。何回かやって問題点があぶりだされて、言葉えらばなければ“しっちゃかめっちゃか”だったんで、長谷川くんが当時、STVにいって話をして、たぶん(長谷川氏と)会ったんだと思うんだよね。
内容は、ずっと学生だけでやっていてゴミのことや、交通規制のこととか手が回ってないことや、後日談だけど商店街としても“こんなしっちゃかめっちゃかなら、やってられない”っていうのが当時あって、それで(STVから)イベントのプロに相談したらいいんじゃないってことで会いましたね。

俺はまだWESSだったのかな、、、たぶん。(STV側からすると)放送のこととかもあったので、祭りの運営についても面倒みてくれないかということで。で、四番街のパレードの運営をみんなでやって。放送もからんでて、あんまり覚えてないけど、やってみたんですよね。

当時のバイトちゃんが、走りまくって疲労骨折しちゃんたんだよね笑 大通と36号線の往復を、、、はしりまくってね。それと、地方車の音とかも規制かけてなかったと思うので、一番印象的なのは稚内南中だよね。すごくて、(音が)でかくて、それで「違反だ」とかいって運転席のドアに手をかけたら、出てきたのが俺の太ももより太っい腕した人で、「何が悪いんだこのやろう」みたいな。思い起こせばNoルールだったよね。やったもん勝ちみたいなもんだよね。

 

Episode.2 大通パレードの運営


鉢 : まずね、計画通り地方車進まないのさ(爆笑) それでさ、もう大通公園西10丁目が大渋滞w 本来ならね、1丁に1台ずつ、4分30秒ずつさ。手前はさ、放送でLapきってっから(スタートさせてるから)、まぁまぁうまくいくんだけど、

もう「さぁ~◎$♪×△¥●&?#$!!!!」とか始まって、前口上が1分も2分もしゃべった後にさ、どんどん詰まっていって。。
最初っから5,6,7丁目の、8丁目を休憩して9,10丁目だっけ?

下畑 : そうです。そうです。

鉢  : それで運営もかわいそうで。10丁目でとにかく、、、シュミレーションも何も無しで、ほんとぶっつけ本番だよね。僕らも乱暴だったなって思うけど。なので、詰まっちゃってどうしようもないから、「いけー!!いけーー!!(前にすすめーーー)」って言って、もう運転手の人たちも舞い上がっちゃってるからねw大通でパレード始まったんだからさ。あれ、天気も良かったんじゃないかな。7回目。

4丁目側から見ると、ほんと思い出すと涙出てくるけど。(チームの演舞が)ずーっと向こうまで重なってすごいんだわ。もうゆらゆらしててさ、熱くってさ。(運営は)走りまくってたよね。とにかくオペレーションは1回目はひどくて。それからだよね●●mルールとか出てきたの。マイナーチェンジ、マイナーチェンジして、なんとか今があるんだと思うんです。

下畑 : 実際、ぼくも現場にいたんですけど、一日パレード運営して4kg近く体重落ちました。もう炎天下で汗かきながら、10丁目が詰まるってことは、9丁目、8丁目の休憩に地方車がどんどん積み重なっていくんですよ。そうすると7丁目とかにもかかっちゃうので、それはやばいというのと、交通規制の時間が決まってるんですよね。時間をオーバーしてしまうとチームが踊れなくなってしまうんですよね。なのでどうするかっていうと、10丁目で2チーム同時に踊らせるwとか。今となっては考えられない、絶対怒られます。

鉢  : あれは(北海道警察の)地域課とがっちりにぎってさ、血判だよね。もう死んでも(交通規制時間を)押しません(規制時間を超過することは無いということ)みたいな。絶対、押しません!とか言ってんのに(時計見て)ああああぁああぁぁぁ!みたいな。


下畑 : またあれですよね、パレードっていう文化が北海道には無かった。。高知はほとんど進む、長し踊りの文化があって、だからみんなわかってて。北海道はステージ形態で踊っているものを100m進むオドリしてくださいっていうのがなかなか難しくて。当時、僕も運転手に「どのくらい進めるんですか?」とか聞くんですけど、途中から“ほんとは練習してきてないんだ”とか“ぶっつけでやろうと思ってて”で、そりゃすすめねーな、と。そこから始まってるルール作りでしたよね。

 

鉢  : やっぱりね、今を継承してやってらっしゃる方も熱持ってやってるんだと思うだけど、やっぱりあのころの“高揚感”。作り手側も、踊り手側も含めてあのころの高揚感は次元が・・・(違ったよね)。まぁ過去を美化・昇華するのは年寄りの悪い癖だけど。

それぞれの丁目にタイムキープもディレクターも入れてるわけさ。それはイベント、放送にしてもマラソンだとかLap通りの運営やってるから、そういう知見を集めてやってるんですよ。でもね、(祭りが)はじまったらね、お客さん(わんさか)いるしょ、でドンチャカ♪ドンチャカ♬でしょ、札幌のど真ん中であんなん収まらないよ。ディレクターさんが各丁目にいるんだよ?それでトラックとかに指示出すんだよ?「はい、どーぞ!」とか言って。もう全然聞かないわけ。あげくあのころまだ騒音規制もなんにもしてなかったから、ドンチャン♪ドンチャン♬でしょ。もうぜんぜん。順番通りにはいかないのよ。

でも、まぁそういう熱量が継承されて、まぁ今もあると思うんだけど。ルールはルールで、今まったく問題無く進んでるのはそういう経験値っていうのかな。
あともう一つ、なかなか埋もれて出てこないと思うけど、組織も支部をつくったり、それぞれにリーダーが、パレードのリーダーっていうだけじゃなくてね、いろんなモラルとか、文化とか、存在意義とか、いろんなことをフォーラムとかもやって話し合いしたよね。だから、パレードは第7・8・9回目くらいまでは“みんなで作ろう”というよりは“金払って、俺たちが一番になってやる”みたいな人達がわっさわさきて、で比較的言葉を選ばずに言えば“好き勝手やってかえってく”みたいな。なかなか作り手とマッチングしてなかったのかもしれないよね。

それが当時の“勢い”でもあるし、“おしおしの大事件”だったりとか。まぁ結果的には(警察から)呼びつけられて、正座させられてwとかね。そういうことの積み重ねだったよね。まぁほんとにオペレーションひどかったと思う。そのころのチームの人たちにはほんとに迷惑をかけたと思う。でも警察もやったことないし、消防も行政も、どこも。

それの積み重ね。

だからなんとなく“日にちがきました”

“やりました”
“おわりました”

“ひどかったですね”っていうものをちゃんとアセスメントして、次の年にやるっていう時に山のような問題解決して、進んでいったんだと思うんですよね。なので、今はほとんど安心・安全な。

 

Episode.3 2000年に発生した爆弾事件を振返って

鉢 : 9回目。6丁目の西側、運営本部的なところがあって。土曜日がほぼほぼ終わって、疲れたねーと貝ってベンチに座って。そしたら、いきなりほんとに“ボッッッカーーーーン”って。ほんとに目の前。すごかったね、びっくりしてさ。その日の物証っていうか、次の日が中止になってさ。朝7時くらいから大通公園に全スタッフ並べて、呼ばれてさ、持ち物からなにから全部チェックやったしょ。

あとあとね、ずいぶん未解決のままになってたけど、それがきっかけに、やっぱり派手にやり過ぎた事もあったと思うし、そこからお祭りが“やりたい人達が集まってやってく”じゃなくて、やりたくない人というか、関係ない人、ちゃんと言えば“一般の人たち”にどういう風に周知・認知してもらうか。どうすればお祭りが広く遍く愛されるのかっていうベクトルに切り替わったきっかけだったよね。

そういうことがあったおかげで、やりたい人達だけが進化していけばいいっていうんじゃなくて、なぜやるのかっていうね。地域における存在意義だよね。お祭り自体のね、そういうことのターニングポイントにはなったよね。

Episode.4 作り手から見た今と昔のYOSAKOIソーラン

 

鉢 : 一番特徴的なのは、運営の主体となる学生くんたちが毎年、代謝しているでしょ。そのことが鮮度を保っている大きな理由の一つだと思うんですよね。まれに非常に優秀な子が現れたり、あるいは、ほとんどこの代死んでるね、みたいなことも含めて代謝しているっていう。大げさに言えば、同じお祭りは一度も無いって言い切っちゃってもいいと思うんですよね。

なので、昔と比較してっていうのは、あまり意味合いとして重くはなく、その上でチームというか踊り子さん一人ひとりに落ちていく、フォーカスしていくと思うんだけど。4分30秒ね、いろんなチーム、いろんな楽曲、いろんな衣裳、いろんなものがあるんだけど、どれとして同じものが一つもない。そして、毎年違う。インフラはね、毎年決まっているものを仮設して(っていうのもあるけど)。中身に関してはほんとに毎年毎年変わっているのでそれでいいと思うし。

おそらく、胸に手をあてて考えると、10代のころなんていろんなこと自信が無いし、でも、夢とか希望とかみたいなのもあるし、それどうすれば具現化するかっていうのもわかんないし、やってみるのにもちょっと勇気がいるし。なので、どれが間違っていて、どれが正しいとか、混沌としている時代だよね。(学生実行委員会の)それがそのまま表現されればお祭りがずっと続くんじゃないのかな。変わるものなので。ほんとにその時その時の青春の1ページっていうことでしょ。なので、去年良かったとか、去年悪かったから直していこうとか議論するのは構わないけど、その年のアルバム、できごと、一年間かけてやるもの、そういうものを受け取って社会に出ていったりとかするんだろうし。

これ(この話)、あんまり美しくまとめるのか?っていうのもあるんだけど。30年前に20歳の学生くんが10人で始めて、10チーム、1000人、8丁目でやってたよね。何はじまったのかなって思ったけどさw あそこなんじゃないの、きっと。だからやりたいことをやりたいようにやればいいんじゃないのかなって。だから学生実行委員会は決して“スタッフ“とか”手下(てか)“とかではなくて、もっともっと主体性をもってやって、かつての僕らがしてもらったように、今の僕らのような大人が”何をしたいのか“っていう具現化することのお手伝いをするってことなんじゃないかな。あとはもうほんと、踊りは4分30秒の青春ですから。

 

Episode.5 地域と祭りの関係性や各地の「よさこい」祭りについて

 

鉢  : 地域と規模と必然性、それからその地域における存在意義みたいなことが一番だと思う。夏祭りもそうだし。某●●チームについて弘前行ったり、あちこち行かせてもらったんだけど。弘前なんかほんと狭い城下町でね。それなりに風情もあってさ。あちこちで、ほんとに全国に広がっていったんだよね。YOSAKOIを通じてつながった、ほんとうにかけがえのない人たちにいっぱい出会えたしね。それは本当に携われてよかったなって思うよね。あちこち親分だらけで具合悪くなるでしょ。

あっち行って(o*。_。)oペコッ

こっちいって(o*。_。)oペコッ
俺たちは偉くない人に会ってないんじゃない?偉い人たちばっかりに会って。ずっとペコペコだよ。

各地に広がるよさこい(高知よさこい情報交流館HP)

下畑 : 今日もいろいろお話し伺って、やっぱり“街でやらせてもらっている”感覚が、30年経つといろいろな積み重なった苦労がわからないまんま、ただ出場する・参加する、ただ出来上がったこのフォーマットの上を役割として運営しているっていうふうになってきているので、ちょうど振り返るいい機会なのかなって思っていて。

みなさんも30年経ってわかることとか、やっぱり街が舞台だっていうお祭りだったんで。“街”を舞台にするってホントに大きな苦労があるんだなって改めて感じさせていただいた。

 

鉢  : まぁ、そういう中で大学を卒業することが出来なかったりさ、行方不明になったりとか、また戻ってきたりとか、そういう人生を投げうっちゃった人達。それこそ「なんもさ會」のおじさんたちもさ、ぶっちゃけYOSAKOIに人生つっこんじゃったわけでしょ。ほんとにいくつになっても青春だよね。

 

Episode.6 コロナ禍を経た今後のお祭りの可能性

鉢  : 本質、本懐でいうと30年前のお祭り始めた10人。リスペクトだけどまるきり違うことを始めるわけではないので、そこに1回立ち返って「彼らができたこと」それから「できなかったこと」、それに今の若い人たちの考え方みたいなのを踏まえてできるんならいいかなって思うよね。どうしても、これは批判ではないけど、西8丁目がメインステージ、その前には特別観覧席、進行の枠も決まっていて、テレビも入っていて、そこからその年の大賞が生まれるっていうことでやってて。もちろんフォーマットだよね。

それはそれでいいと思うんだよね。そのためのパレードがあったりとか、そういうこともいいと思う。誰かが抜本的に変えようって言い出してもいいと思うし。これは批判じゃないんだけど、意外にいろんな企画を、ミッキーマウスきたりとか、どっかとコラボとかいろいろやってるけど、果たしてそれが今の若い踊り子さんたちの世代の、どっか時代とか時流とか少し寄り添ってみるっていうかね、それで新しい価値観つくってみるっていうか。(YOUTUBEで)再生回数1億回になりましたーみたいなこと。
去年コロナでYOSAKOIソーランのステージの配信があったけど、それも一つの挑戦だったと思うけど、なんとなく時流のトレンドでコロナの所為かよってネガティブなところもあったじゃない。ほんとは出たいんですけど、みたいな。そういうところに新しいきっかけとか、新しい価値観とかを創れるかもしれないよね。新しい価値観を作るってことは当然いろんなものが動くっていうことだからさ、人も動くし、お金も動くし、そういうのをイベント的に仕掛けるんじゃなくて、表現のスキームというか、チャンネルっていうか、方法として、新しいものを若い人たちと考えてやる。

コンテストとしては4分30秒っていうのが、決まり巾着のものなんだけど、今まで30秒で表現するとか90秒で表現するとかっていうのはやってないよね?視聴チャンスを逃さない尺で、それぞれが年がら年中、4分30秒とかじゃなくて20秒とか、40秒とかで表現するとかっていうのを、そういう別のカテゴリーみたいなのをはじめていって。チーム登録費も安くて、チームの下部組織でも構わないし、全然違うチームでもいいし、ミニYOSAKOIみたいな感じで。鳴子もつとかそういうのもみんなで考えて。すごいイケてて、場所なんかもすんごい山ん中とか、海だとかいろんなところで。モブっていうんだよね。そういうものと今のトラッド(伝統的や保守的を意味する)とかと融合してて、それで新しい価値観創っていく。そっちのほうも面白いよねとか、手軽だよねとか、そっちはいいねとか言う人がいてもいいし。かたや4分30秒に命かけて、そっちに青春なげうつっていうのももちろんいいと思うし。そうやって“ちゃんと時代にくっついてってる”し、もしかしたら“ちょっとだけ先に”行ってる。そんな感じ。例えばYOSAKOIパークを仮設で作っちゃう。仮設のノウハウは30年の歴史であるわけで。場所を押さえるノウハウ、知見も全部あるわけで。その新しスタイルで仮設で1ヶ月間作っちゃって。そこにじゃんじゃん夢想漣のモブチームとか、新琴似のなんとか~とか。

澄川のおばちゃんがね、「私はもうもう、◎$♪×△¥●&?#$」とか言ってて。やっぱり少子高齢化もあるし、大規模店舗が出来てメガネやが無くなったとかいろんなことあるでしょ。
※澄川のおばちゃん・・・過去、札幌市南区で「澄川会場」を主催していた商店街の日向寺さん。
やっぱり、チームの維持継続、会場の維持継続、そこに縁のあるチームの維持継続も本当にたいへんだと思う。
でもそれってきっと、YOSAKOIソーラン祭りってこういうものなんだよねっていうのが揺るぎなくあって。もしかしてそこで、新しい息吹とかをくみ取れないかもしれないし、全く関係ないドアをパっと開けたら全然違う人たちが「それって面白いじゃーん」っていってもしかしたら少し広がるかも。そういうのがそれぞれの地域で(年配の方が)「最近、こんなん(ピアスいっぱいの一見ヤンキーみたいなの)と付き合ってるけど、あいつら面白いわー」とか言ってまた“おばちゃん”の魂に火が入ったりするでしょ。見た目も違うし、モバイルも違うし、もしかしたらそこが次に渡せる30年。熱も含めて。それがまず中央で、学生実行委員会とか組織委員会とか、中央でなんとなく「こうだよね」っていうより、地域のおじちゃんおばちゃんに渡して「私にこんなのもってきてもわかんないわよ~」とかいうのを乗り越えて、普通にスマホでURLぶったたいたら動画バーンって出てくるっていう。YOSAKOIに係わっているお年寄りはね、同じ年代のお年寄りよりもかなり元気だし、時代についていってるし、すごい面白い事やってるよねってなってって。で、あの街面白いよね、この街おもしろいよねってなってったら、最後YOSAKOIその物におかえしというか、お土産?を渡してそのまま最後を迎えられるよね。そういうのもうまく利用して裾野を広げていけば、きっとそのお土産っちゅうの、「あとあんたたちやんなさい」みたいなのでできるんじゃないかな。そしたら世界中の人たちがやると思うよ。そしたらいろんなジャンルがあるけど「THE YOSAKOI」、それが札幌。世界中の人が同じことやるってことでしょ?ちょっとわかんないけど。まぁ例えばそういうことで価値観を作っていけば。

(全ての談話を終えて)
8割くらい控えたよな、裏話はな笑

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